『見に行かなくて』はの続きになります。
御奉賛のお願いより抜粋
鹿島神宮は神武天皇御即位の年に、神武天皇より神恩感謝の意を持って使いを遣わし勅祭されたことを創祠とします。御祭神 武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)は神代の昔、天照大御神の命により国譲りの大業を果たされ、古来より朝野の崇敬を殊に篤く受けて参りました。
現在の幣殿・拝殿は江戸幕府二代将軍徳川秀忠公が元和四〜五年(1618〜1619)に本殿・石の間とともに造営寄進した大建築で、桃山後期作風であるこれらの社殿は、権現造りの先駆的形式を示すものとして極めて文化的価値の高いものであります。
また、摂社奥宮本殿は江戸幕府初代将軍徳川家康公が慶長十年(1605)に造営寄進した当宮旧本殿で、元和五年(1619)、秀忠公の社殿造営に際して現在の地に移され、奥宮本殿としたものです。境内の社殿中最も古く、元和年間(1615〜1624)以前の社殿の形を使える建物として貴重なものです。
さらに、境内の入り口近くに西面して立つ楼門は、水戸藩初代藩主徳川頼房公が寛永十一年(1634)に造営寄進した建物であり、日本三大楼門の一つにも数えられます。
それぞれが国指定重要文化財であり、幣殿拝殿は昭和二十九年に本殿石の間とともに4棟が統合指定され、昭和二十五年には摂社奥宮本殿が、昭和四十一年には楼門が指定されおります。
しかし造営時より大小幾多の修理を行ってきましたが、近年屋根や塗装及び木部の傷みが目立ち、早期に修理を行う必要が生じました。
専門技官の調査の結果、社殿の傷みは予想外に酷く、早急な修理工事が望まれるとの結論が出されました。幸いに、関係各位のご尽力により文化庁の積極的な対応をして頂き、七ヶ年計画で完成される見通しとなりました。
何分にも当神宮にとって大きな事業であり、心ある皆さまの物心両面にわたる絶大なるご援助なくては到底達成は困難であります。この修理工事を完遂することは当神宮の尊厳の護持はもとより、その行為を通して大神様の御神威のもと多くの方とつながり明るい人づくりがなされ、この国の伝統的な信仰の在り方と文化を将来に正しく伝えていくことを期するものであります。
この事業を完成させるためにも、何卒格別の御高配を以て御奉賛賜りますようお願い申し上げます。
令和三年四月吉日



















vol.3に続きます。
樹と住宅に関する事ならに何でもお任せ下さい!!
樹と土と漆喰で造る住まい 𠮷田材木店
ダイニングテーブル等の製作・販売も請け承りますので、お気軽に弊店HPよりお問い合わせ下さい
鹿島神宮
またのチャンスを逃さないようにしたいと思います。
ありがとうございました。
次回機会があれば是非ご覧下さい。